大晦日の夜ってたまらなく好きだ。
慌ただしい日中が一段落して「一丁上がり」的な雰囲気に変わる。一年に起きた不具合はこの日全てチャラになる。後はのんびりと風呂に入って、しみじみとビールを飲む。妻が作った年越し蕎麦をたぐりつつ、こたつの中でそっと年を送りやる……これだよ、これ。うん最高。
なんて思っていたら妻がこう言った。
「あ、お蕎麦買うの忘れた」
そのセリフに、僕は一気に現実に戻された。なんだと、蕎麦が無い? 昼間ショッピングセンターでわざわざ海老やらホウレンソウやらを買ったと言うのに、なぜ肝心要の蕎麦を忘れるのだ?
そんなわけで僕は蕎麦を買いに行く事になった。
近所のスーパーは年中無休。大晦日らしさはないけれど、こういう時には非常に便利だ。
だが、事もあろうか蕎麦はすべて売り切れていた。
信じられなかった。僕は油断していた。どこの家でも大晦日はお蕎麦なのだ。敵は予想以上に多かった。
ここで呆然としている暇はなかった。すぐさま脳内で近所のスーパーマーケットの位置関係をインプットし、効率的なルートを作成した。イトヨ、マルエツ、ニコマート。県道を横断すればすぐだった。補欠にスーパーヤマダも押えておく。
いざ出陣だった。
僕はママチャリのペダルを蹴りつけ全力疾走した。風呂上がりの体に師走の風が吹きつけた。負ける訳にはいかなかった。近所の奥さんがぎょっとした目で僕を見たが、構ってなどいられなかった
ふっせ。
結果的には二軒目であっさりと蕎麦は購入できた。当たり前と言えば当たり前なのだが、あまりの呆気なさに少々魂が抜けてしまった。帰り道はとても長く感じた。まったく散々な大晦日だ。僕は一体何をやっているんだろう?
しかし家に帰って、蕎麦の入った買い物袋を渡すと、予想外だったのか妻は喜んでくれた。早速茹でるね、とお湯を沸かす。部屋の中に暖かい湯気が立ち込めた。うん、これこれ。僕と息子は両手に箸を持ち年越し蕎麦が出来上がるのを待った
えれ。
「どうして大晦日にはお蕎麦を食べるの?」と息子が聞いた。
「細く長く云々って言われてるけど、要は一年の最後ぐらいみんなで美味しいお蕎麦を食べようって事なんだよ」と僕は説明した。
それを聞いていた妻が笑ったので「もし蕎麦が手に入らなかったら一体どうしたんだ」と抗議してみた。
「どん兵衛でいいかなって思ったんだけど……」と妻は言った。
え、どん兵衛あるの? 僕は愕然とした。なぜ最初に言わないんだ。なぜこの寒風の中を……そう思った所で妻特製の年越し蕎麦が出てきた。僕の椀には海老の天ぷらが二尾ものっていた。ま、いいか。今日は全てがチャラになる日なのだ。
こうして僕らは美味しい年越し蕎麦を食べたのであった
えれ。